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kidney


移植をする

移植するため、入院の電話を透析しながら待っていました。
そして6月1日、私は父と100円ショップでうろうろ・・・。
と買い物をしている途中に父の携帯がなった。

それはまさしく、次の日に入院の準備をして来て下さい。
というものだったのです。

その日は透析の日ではなかったので買い物し終わったあと、
透析している病院に、明日から東京の病院へ行くということを伝えに行った。

その日主治医の先生が外来診察の日で会えなかった。
いくらなんでもということで再び夜になってから、
病院に行って、先生に会いに行った。

そこで、東京の病院のほうに透析室の技師さんのお部屋で、
いろいろ今までの経過みたいなのを書いてくれた。

私はかなり、この先生の手をわずらわしたと思う。
それほど、不良患者さんだったのです。
自分で言うのもなんだけど。

で、東京の病院へ入院して・・・

最初の部屋は8人部屋とおおきな部屋だった。
田舎者の私はびっくり。

入院して最初の検査は出血検査と心電図と肺機能の検査。
その後、胸のレントゲンを撮って心研外来に行った。

心研外来というのは心臓のほうの外来で、透析時代に相当不摂生したため、
心臓肥大があって、それでこの心研外来に受診することになったのです。

その結果、心臓の壁が厚い!って言われた。
今はどうかわからないが。

そんなこんなで、初日は終わった。
1日が早く過ぎたような気がした。

次の日にドナーである父が入院した。
一緒に入院させてくれれば交通費とかかからなくて
済んだのに、と正直思った。

それからが、大変だった。

血液型不適合で移植するから毎日血漿交換しなくちゃならないし、
それと平行に1日おきくらいに一緒に透析もしなくちゃならなかった。

血漿交換は抗体価を下げるためにやるのです。
これをちゃんとやって抗体価をさげなければ移植はできないから。

時間としては、血漿交換だけだったら3時間くらいですぐ部屋に帰ってくれるけど、
血漿交換の次に透析となれば半日以上は透析室にいた。

たしかに、これは大変だったけど移植するためにはこれを頑張らなきゃ
ならないって思ったから頑張れたのかな。

なかなか抗体価がさがらなくて、移植できないって言われるのも嫌だし。
あとあと、わかった話なんだけど最初、かなり抗体価が高くて先生たちが困ったらしい。
でも、血漿交換で下がってよかった。

もちろん、血漿交換・血液透析やってるだけじゃなく、他の検査にも行ったりしてた。
CT撮ったり、血液ガスの検査もしたし、もちろん連日の採血もあった。
膀胱の検査や・全身骨の検査・骨密度の検査・血糖値の検査は外来に通ってるときにした。

もう、全身検査満載です。

父の検査はというと、まずレントゲン。
そのあと血管造影のレントゲン。もちろん採血。父の場合は心臓のほうもあったから
心臓の検査とか。本当にありがとう。お父さん!

さて、主治医の先生から、移植の話を聞いたときの話。
ドナー(父)さんのどっちの腎臓をレシピエント(私)の体のどこに移植するか。

という話になって、ドナーの左の腎臓をレシピの右の下腹部に移植すると言われた。
あと、血液型不適合で移植ということなので、脾臓も摘出するということも話した。

脾臓摘出してもだいじょうぶなのかな?って思ったんだけど、特に問題もなく
大丈夫らしいというお話を聞いた。

大きな拒絶反応を抑えるためには取っちゃったほうがいいらしい。

その後、移植後どんな薬を使うのかとか、移植後例えば(もしかすると)こんなことが
起こるかもしれないという話を聞いた。

父はちょっと不安になったらしいが、先生にいろいろ聞いて安心したらしい。
私も安心したけど、やっぱりどこか不安はあった。

手術前々日、デイルームで移植のビデオを家族全員で見た。
まぁ、場所が場所だから、家族だけってわけじゃなかったけど。

こんなことするんだなぁ、とずっと感心してみてた。
たしかこの日は日曜日で透析もなくて楽な1日だった。

移植前日は、私の大嫌いな胃カメラの検査があった。

もちろん朝食抜き。
それはどうでもよかった。

とにかく、胃カメラが嫌だった。
できることならば避けたいと思ったけど、
移植するにはみんなやる検査だったからどうもこうも。

なんで、そんなに拒絶してるかというと、
気管支鏡でひどい印象があるから。心底いやだった。

そして胃カメラのやる場所に連れて行かれ、
気はすでに重く返事もままならない私をみて
先生が「そんなに嫌か?」と見抜かれた。

「大丈夫だからさ、そんなに暗くならないで」と心配された。
ついでに、麻酔のまずさでさらに吐きそうになって
さらに先生にものすごく心配された。

そして、胃カメラの検査が。

気管支鏡の検査に比べれば、どうってことないと思ったけど、
2度とやるかっ!って思った。

が、その後2度目をやることになるとは。

その後、1人じゃ収集つかないくらい具合悪くなって、
車椅子でそのまま眼科へ行かされた。

しばらく胃の調子が悪いまま眼科にいて、病室に帰ってきたのがお昼だった。

その後、ご飯食べてから血漿交換&透析。
とりあえず寝た。

透析中に麻酔科の人が来ていろいろ手術のことを話した後、
いろいろ聞いて帰ってった。

血漿交換&透析も無事に具合悪くならずに終わって時計みたらPM9:30。

出血傾向があったのか、なかなか血が止まらず30分以上止血、
病室に帰った。時間としてはもうPM10:00が過ぎていた。

その後、明日の手術の話の総まとめを聞いた後、下剤を飲んで寝た。
看護婦さんが眠れなかったら、と睡眠薬をくれたけど、
血漿交換&透析で疲れたからすぐ寝れた。

・・・手術当日(6月8日)。

朝早く起こされ早速トイレへ行かされた。
そして2本の浣腸。

それから手術着に着替えさせられ、ちょっと眠くなる薬を
注射させられAM8時ころだったかな?
ストレッチャーで手術室に行った。

父はその前に手術室に入っていた。
手術室に入ってからは即全身麻酔で眠らされた。
気が付いた時にはすでに大騒ぎしてた。自分が。
何と言って自分が大騒ぎしてたのかは忘れたけど。

戻ってきた部屋は普通の一般病棟の2人部屋。
別に無菌室とかそんなんじゃなかった。

私は逆にそれで安心したほう。
あんまり、ものものしい部屋に入れられてもね。
というタイプだから。

そして、お腹の左右にドレーンがついてて(それに気づいたのは後)
点滴の針は首と右手首と右足についてた(これに気づいたのも後)
気づいたときはびっくりしたね。

いろんな種類の点滴がアクセサリーのようにいっぱいぶら下がってた。

尿はすぐに出たらいし。誰かが私にそう言った記憶がある。

とにかく全麻で眠いから起こさないで
くれ~!って思う中、父はどうなんだろう?って

それはずっと思ってた。

手術も無事に終わって後は、4日間の安静を乗り切れるか
なんだけけど、たしかに辛かった。

辛すぎた。最大2日間の安静を経験したけど、
それだって辛かったのにもっと辛かった。

移植手術が終わった次の日。

移植した腎臓のエコーをやるといって大きな機械を先生が引っぱってきた。
話には聞いてたけどホントに術後すぐエコーするんだなぁ~って思ったのはいいんだけど、術後だよ術後。

傷口痛いっ!って。本性でそうになった(汗)

それだけならまだしも、今度は動脈から採血するのはいいが1回でやって。
って言えなかった。言えるわけがない。

やってる相手が必死なんだもん。
10回目で失敗したらさすがに言ってやろうかと思ったけど
そこまでは失敗しなかったから良しとしよう。

さらに!血液型不適合だから特殊な治療だとか言ってベットからストレッチャーへ移された。

もちろん、自分は安静だから動けない。
看護婦さんとかヘルパーさんがシーツごと持ち上げて
ストレッチャーの上に乗せてくれた。

それからエレベータで地下に下ろされて、
がたがたする廊下を通るたびに傷口が痛い。

そうしてようやくたどりついたのは放射線科。

そこで、放射線の治療を水・金・月曜日とやると聞かされて、
あっというまにレントゲンみたいな台へ。

背中痛いし、傷口痛いし、それに輪をかけて
ちょっとごめんねって傷口もろに押さえて移植腎の腎臓の位置確かめてるし。

さすがにまいった。
放射線治療は5分くらいで終わったけど、また帰りが自分が動いてるわけじゃなにのに辛い。
傷口が痛かった。そうして移植後1日目が終わった。

安静期間4日間はエコーとか動脈からの採血しかなく暇だったのはいいけど、
ずっと同じ体勢でいるわけだから腰が痛くて痛くて。

これをまぎらわすために私がした行動とは
とにかく、寝た!動けないしTV見る気分にもなれないし、とりあえず寝とこうと思って。

第2回目の放射線治療の日がきた。
またまた、ベットからストレッチャーに移され地下の放射線科に行った。
1回目より多少はよかったけど、がたがた廊下はちょっと。

そんなこんなで4日間が過ぎ、ついに起きれる日がきたのです!

どんなに楽になりたかったことか。
が、しかしそうは簡単には起きることができなかったのです。

傷がまだ痛いために腹筋が使えず
なかなか起きれなくて、しかも思った以上に体力がおちていた。

仕方なしに看護師さんに補助をしてもらいながら
起こしてもらったんだけど。

で、起きて超ひさびさおトイレへ・・・。
たかが、数メートルのトイレに行くだけでも息切れが。

自分が1番びっくりした。

やっぱ尿がでるっていいよ。
ご飯もその時に久しぶりに見た。
最初は重湯みたいのだったけど。
徐々に、噛めるのがでてきたけど。

それから、先生たちに歩いたほうが傷口が治るのが早いよ。
て、言われて歩いたはいいけど、ドレーンが邪魔。

左右にあったから余計邪魔。これさえなかったら・・・って思ったけど当分
無理だろうと、頑張って歩いた。

短い距離だけどさ。それだけで、いっぱいいっぱいだった。

それなのにのに、ラシックス注射されるから余計トイレがちかくて。
それでなくたって膀胱が小さくなっていてすぐトイレ行きたくなるのに、
10分置きくらいに行ってた気がする。

起きれてから、第3回目の放射線治療に行った。

今度は自分で動けるから、車椅子に乗って行った。
やっぱりがたがた廊下はちと厳しかった。

それで、初めてこういう道順できたんだなぁということがわかった。
寝て運ばれるとよくわからなかったから。

そして、いっぱいの点滴くんと一緒に放射線科に着いた。

・・・またそこで・・・

部屋から出る前にトイレ行ったばっかなのに、また行きたくなってるし。
まいったまいった。我慢は禁物って言われてたから連れて行ってもらった。
そんなこんなで、最後の放射線治療は終わった。

実はこんな私にも精神異常起こした時期があってね。
ちょうどこの時期だったかな。

ちょっとしたことでもすぐ泣いてた。

その時に、先生が神経内科の先生を
連れてきたけど、余計不安になった私・・・。

何でも話して!って言われても・・・。
逆に困ったからとりあえず、適当に話した。それで終わったけど。

安定剤だしてくれたけど、それでも、ダメなものはだめ。
まぁ、あることをきっかけに治ったけどいろいろあるわけだよ。

さて、移植して1週間がたって、父が抜糸をして山梨に帰っていった。

父すごいっ!って思った。だって抜糸してその日に帰っていったんだもん。
しかも、カレー食べたいと言って帰っていった父。
その日の夕食はお望み通り、カレーだったらしい。

その時だったかな?左側のドレーンを取ってくれたのは。
両方あるよりかはいいけど、やっぱ不便は不便だった。

右側のドレーンがはずれたのは、それから5日後くらいだったかな。

さて、待ちに待った術後2週間がやってきた(という言い方も変だね)
抜糸だよ抜糸。後はこれが取れれば動きがスムーズになれるのよ。

抜糸は少々痛かったけど、何の問題もなく終わった。ホント、すっきりすっきり♪

しかし!その2日後、クレアチニンが上がって腎生検。
腎生検自体は別に問題にしてはいないんだけど、その後の安静6時間っていうのがイヤでね。

言い忘れてたけど、移植してからずっと点滴ははずれてない。

まぁ、何度か針の刺し換えとかはしてたけどね。
といっても、さすがに足と首のところは歩けるようになってからはずれたけど。
この点滴の付き合いが長いのにはまいった。

部屋が大部屋になって、これで、順調に行けばと思ってた
私だったけど、一向にヘマトクリットが上がらない。
下がっていく一方で大した距離を歩くわけでもないのに息切れがする。

先生方は「大丈夫だよ。今に上がるから」とは言うものの一向に上がる気配無し。

さらに、様態は悪くなっていく一方。

そのうち、背中が痛くてただの筋肉痛とか言われて
シップ薬だしてくれて使ったはいいけど、まったく治る気配無し。

そのうち、寝てても痛くて寝れないし、
むしろ、起きて座ってるほうが多少らくで、
背中全体が痛くて、夜中ずっと起きてたときもあったくらい。

先生たちも何が何だかわからなくていろいろ調べたらしい。

そして、ある日「血漿交換と輸血」が宣告された。

その時のヘマト"15.0”。それは辛いはずだよ。

3日間の血漿交換と3本の輸血をすることになった。
それで楽になるんだったら何でもするっ!って感じだった。

車椅子で透析室に行って、「これで楽になるからね」って言われて
即、血漿交換。それと同時に輸血も開始。ついでにフサンの点滴開始。
血液を固まりにくくする薬。

とりあえず血漿交換中は寝た。何故か寝れたんだよね。

そして、第1日目の血漿交換が終わって、起き上がったら、ウソのように
背中の痛みがなくなって体がすっごい楽になってた。

1回でそれだから2回目・3回目とやれば。
たしかに、3回の血漿交換と輸血で歩くのもすっごい楽になった。

結局なんだったのかと言うと「溶血性尿毒症症候群」。
つまり、超簡単にいうと腎臓の血管がつまっちゃう病気らしい。

後々、聞いた話なんだけど、ダメになるかならないか
という話にもなってたらしい。先生たちも困ったらしいホントに。

ついでに、この時に薬も変えた。FK(プログラフ)→CYA(サンディミュン)に。
これって臭いしでかいし。

その次の日あたりに腎生検をしたかったらしいが、血小板が低くってできなかったらしい。
「腎生検したくない?」と聞かれ、そりゃ、したくない!とも言えず、とりあえず笑ってごまかした。

でも、結局その3日後ぐらいにする羽目になったけど。
さらに、その次の日に骨髄穿刺。
骨に針刺して骨髄を調べる検査ね。というのもやった。

ヘマトが上がらないのは骨髄のせいじゃないかと・・・の疑いのため。

実は自分がこれやる前にやった人が隣にいてね・・・痛いって聞いてたから恐ろしくって。
たしかに、これは骨に針さすわけで、自分の皮膚っていうのか肉・・・(?)
には麻酔が効くけど骨には効かないんだよね。

だからといって大騒ぎするほどの痛さじゃなかった。けど痛いものは痛い。

そんなこんなで移植して1ヶ月目を迎えた。相変わらず点滴はついてる。
点滴くんとも1ヶ月の仲になってしまった。ちっともうれしくないわけで。

そしてそして、ついに点滴くんとお別れの日がやってきたのですっ!
今でも忘れはしない、7月10日の夜!ほんと~~~~にっ!うれしかった!!
これで、点滴棒を気にすることなく歩けると思うとぐっすり寝れた。

さらに、退院とはまでは行かなかったけど、転院の話がでた。
しばらくは東京まで週3回通うのも大変だし、リハビリも兼ねてということで。

そこの病院に転院になったことのある人に話を聞いたら、外出出来るって聞いた。

早速、家に電話して転院話をしたのはいいけど、
1ヶ月半入院してたため荷物がすごいことに。
身辺整理するの、すっごく大変だった。

実は転院する2日前くらいから、CRPが高くって、
炎症反応を抑える点滴を転院当日までやってた私。
つくづく点滴についてたな・・・。

さて、転院する場所というのは、埼玉県のある病院。
電車で行こうといったのは父のほう。私はタクシーで
行ったほうがいいって聞いてたのに(疲れるから)
どうしても電車で行くことになった。

何故かそれは私のせいになってるようだけど、
真実は違うんだって!

電車は疲れた。暑いしさ。夏真っ盛り!っていう時だったから。

多分、透析のときに行ってたら半死だったろうなぁ、と思った。
病院着いた初日、早速採血。まぁ、この変はあたりまえか。

次の日。腎臓が這ってる感じがする~!といってみんなを心配させたのはこの私です。
ただ疲れただけという説もあるけど、たしかにそうかもしれない。

その節はすみませんでした。。

そこで、炎症反応を下げる点滴をした。
どうやら、まだCRPが高かったらしくって、
ここでも点滴をするはめになった。3日間だけだけどね。

とくに、埼玉の病院に移ってから何もやることはなかったな。

やることと言えば、1日3回の血圧・体温測定とお風呂と
毎週火曜日のエコーだけだったかな。

採血は看護婦さんがやってくれるからいいし。
あとは尿検査くらいかな。

外出もできたからふらふら~っと短時間だけだけど遊びにも行ってたし。

だから、あっっというまに3週間が過ぎた。
ほとんど、自由きままな生活だったな。

好きな時間に寝て、外へ出る。
っていう生活してたから、かなりのぐ~たら癖がついてしまった。

それからそれから、8月の第1週の水曜日に東京のほうから先生がきた。

午後からその先生の診察を受けた。
そこで先生が、そろそろ退院したいでしょ?
みたいなことを言ったから「すっごいしたいですっ!」って訴えた。

この時はもう別に具合悪いとかないし、
データも落ち着いてきてたから。

そしたら、退院の許可がでた。
すっっっっっっごい嬉しかった!!!

今までの何より嬉しかったなぁ。

部屋に帰るときの足取りがすっご~く軽かったもん。
さらに、笑いが止まらなかった。本当に心底嬉しかった。

というのはこういうことを言うんだろうね。

  1. 腎臓病になる
  2. 透析になる
  3. 移植を考える
  4. 移植をする