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kidney


移植を考える

私が専門学校1年生になった頃に、我家にインターネットが接続された頃で。

そのときに、透析に関するホームページを何気に見ていたら、ある某医大のHPに辿り着きました。
そこに、腎移植についてのことが載っていたので何気に覗いてみました。

かなりの長文だったけど、頑張って読んでみたら
血液型不適合でも移植ができるということが記述されていたのです。

それには、びっくりして早速家族に報告。
こんなことが出来るのかとみんなでさらにびっくり。

このときはまだ移植のことは考えられず
透析しては入退院と繰り返してた。

透析3年目に入る年に母親から、
「そろそろ移植考えない?」と言われ、
さすがに透析に疲れた私は移植のことを考えはじめた。

親とも話し合って先生に伝える前に、入退院繰り返しているうちに
仲良くなった看護師さんに相談してみた。

その後、外来に行ったとに先生にも移植したいとのことを伝えた 。

もちろん、この病院では移植医療はしてないからと、
地元のY医大病院を紹介してもらった。

ちょうど、夏に入った頃だったか。
すっごい暑い中、Y医大に行って、初Dr.と顔合わせ。

それから、移植をしたいとのことと、血液型不適合での
移植を希望しているとのことも伝えたところ、返事が鈍かった。

何故かというと当時、この医大では移植はしてるものの、
あまり移植患者さんがいないということ。

さらには、血液型不適合では移植をしていないということで返事が鈍かった。

それで、東京のほうの病院を紹介するけど・・・という話になった。
しばらく考えた結果、移植例の多い東京の病院に行くことにした。

自分だけの話ではないから。

・・・の前に、このときにY医大の先生にシャントがあったほうがいいと言われた。

ちょっと考えたけど、このときに副甲状腺の手術も決まっていたので、
ついでにシャントの手術を受けてしまおうという思いつき行動にでた。

でも本当は前々から主治医の先生の口から、
シャントの話がでてたんだけど、断わり続けていました。(ごめんなさい)

たしか、7月に専門学校が夏休みに入る前の終業式終了後に即入院した。

入院してから検査と透析の日々。
特にやることもなくて暇ひまだった。

でもさすがに副甲状腺摘出の手術の日が近づいてくると
ちょっと不安になってきた。

ちなみに、このときが初めての全身麻酔での手術でした。

そして、8月5日の副甲状腺の手術の日。
手術の時間が午後のタイムフリーだったから
いつくるかわかんなくて、ブルー通り越してブラック入ってた。

覚悟はしてたものの、手術なんてやっぱり嫌。

時間は忘れたけど、ちょっと眠くなる注射打って
ストレッチャーで手術室に運ばれる。

これで、手術室に行ったのは2回目。

そして、手術台に移ってから全身麻酔。
何やってるかわからないから、いいにはいいけど。

手術が終わったあと、ICUに移された。

初、ICU。
その間の腹膜透析は透析技師さんがやってくれた。

ICUに移ってからいろんな人が
訪問してきては看護婦さんが起こす。

でも、本人としてはほっといてくれたほうがよかったな。

次の日、無事病室に帰れた。
ちなみに首のドレーンに気がついたのは病室に帰ってしばらく
したころだったか。いわゆる鈍感ってやつです。

シャントの手術の最初の予定としては副甲状腺の手術やった1週間後に予定していたけど、
これはさすがにきついだろうと先生が2日延ばしてくれた。

今思うと、無謀な考えしてたんですな。

シャントの手術。

これで手術室に入るのは3度目。
好きで入ってるわけじゃないですよ。

今度は局部麻酔だから意識ははっきり。
寝てるのが辛かった。

もっと、辛いのは先生なんだけどね。

手術は主治医の先生に加えて、腹膜透析のときからお世話になってた
研修医の先生がやってくれた。

手術時間はかかったけど、それほどダメージは
思ったほど受けてなかったように思う。

術後すぐに聴診器で看護婦さんがシャント音聞かせてくれたけど
正直、その時はよくわかんなかった(ごめんなさい)

その後、ちゃんと聞こえてきたけど血管浮き出てこなくてちょっと安心した。
が、すぐ閉塞しないよな?と不安にもなった。

今までで、いろんな検査してきたけど、私がもっとも心底これだけは2度とやりたくないっ!
って検査がある(あくまで今までだからね。これから変わるかも?)

それは、気管支鏡。
これは胃カメラ何てもんじゃない(私はそう思った。)

悪いと思ったけど、暴れた。

そしたら回りにいた看護師さんや先生たち数人に抑えられた。
ハンパじゃなく苦しかった。

終わったあと、この怒りをどこにぶつけていいのかわからず
とりあえず泣いてみちゃいました。

同年12月。

移植に向けて本格的に血液透析をするにあたり、
腹膜透析のカテーテル抜去のため入院。

もう、何回入退院繰り返したか忘れた。

そして腹膜透析のカテーテル抜去手術の日がクリスマスイブ。
その1日前に血液透析を開始した。

そして、世間様がクリスマスイブって騒いでるときに
私は4度目の手術室の中・・・。

局部麻酔だったんだけど寝た。
もうこれは寝るしかない!と、思ったんです。

・・・そして、カテ抜去が終わり病室に帰ってきたら、
泣いてしまった。なんででしょうね。

文ではでは書けない、なんとも言いがたい気持ちでいっぱいだった。
正直まいった。よくわからないけど泣けてきてしまったんだよね。。

次の日、ベットごと透析室にいって透析した。
1日安静だから。

このときもかなり、ブルー入ってた私。
これからだっていうのに。前向きな考え方が出来なかったらしい。

それから、移植する為の入院までずっと週3回透析しに病院へ通って、
最初の数ヶ月はまだ、専門学生だったから、
月・金曜日は夜間透析のほうにいれてもらっていた。

水曜日は日中しか透析がなかったから、週1回は学校休んだけど。

ちょうど、時期的に卒業課題の時期でえらい目にあった。
課題発表のときは実は全部終わっておらず・・・。少々ごまかした。

無事学校も卒業でき、とくに就職もせず、週3階の透析に日々を過ごしていた。

透析が終わった後というのは、必ずといっていいほど、体調はよくなかった。
血圧下がって立っているのが辛かったり、足はつったりと大変だった。

一説によると体重増やしすぎというのがあるんだけど、当たってます。
申し訳ないけど、しょっちゅう怒られた。

透析やってる間でも、東京の病院には月1回~2回くらいは通った。

東京のほうの病院で、移植前の検査をした。
膀胱の検査とRI(だと思った)と全身骨のレントゲンの検査とか。
あと、一般的に血液の検査。スピッツの量がハンパじゃなく多かった。
ので、思わず数えてしまったところ18本もあったような。

そんなこんなで、血液透析を始めて半年が経った。
時間は長かったような短かったような。

この前、血液透析始めたかと思えばもう、という感じだった。

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